Quantcast
Channel: 鞆の浦日記
Viewing all 1610 articles
Browse latest View live

いよいよ秋祭り

$
0
0

いよいよ今夜から秋祭りですね。

渡守神社の秋祭りだけはなく、御幸の荒神さんの秋祭りも同時に行われます。



なお今年は御幸町生誕100年記念の年で、その記念として御幸一会館で御幸町及び鞆町をふり返る記念の写真展が開催されます。


この記念の写真展にこのブログのタイムカプセルでも紹介したことがある御幸町の風景も登場する予定です。

少しでもお手伝い出来たことは私にとってもなによりの幸せです。

渡守神社例祭 一日目 神輿渡御祭

$
0
0
いよいよ秋の祭りの時を向かえました。
 
イメージ 1
 
今年の渡守神社の例祭は祭大好き原町が当番町、御幸の荒神さんの秋祭りは御幸町誕生100年周年を同時に祝うとあって期待大です☆
 
午後7時、沼名前神社境内の渡守社前にて神輿渡御に先立つ祭事が始まります。
 
イメージ 2
 
祝詞奏上後、町を回り当番町の原町の御旅所へ
台風の影響か、、、今夜は蒸し暑かったですね、、、
 
渡守の神様を迎える原町の通りは準備も万全です♪
 
イメージ 5
 
いいですねぇ~、、、この雰囲気♪
 
イメージ 3
 
そして午後8時、原町の御旅所となった胡神社に神輿が安置され祝詞を奏上。無事初日の祭事が終了しました。
 
 
その後、西町の世話方が集まって海彦で待っていると、、、来ました♪ 来ました♪
 
イメージ 4
 
「チョウサイじゃ~ チョウサイじゃ~ チョウサイじゃ~」
 
今年の原町の明かし物は三台が出陣。
町を賑やかしてくれます♪
 
イメージ 6
 
「ヨイ ヨイ ヨイ♪ ヨイヤス~ ノ ヨイ」
 
イメージ 7
 
「ヨイ ヨイ ヨイ♪ ヨイヤス~ ノ ヨイ」
 
イメージ 8
 
子供たちも頑張ってます♪
 
天気が少し心配なこの週末ですが、よい祭りになればいいですね。
渡っすさんの祭りも気になりますが、御幸町100周年も気になりますね。
明日は仕事ですが、、(涙) 御幸町まで足を延ばせれたらって思っています♪
 
 
 
 
 
 
 
 

渡守神社例祭 二日目 御旅所祭と夜の宴

$
0
0
イメージ 8
 
祭り疲れ?で更新を少々サボっておりました(笑)
この時期に鞆の帰れなかった同郷の方、、、どーぞ♪
 
二日目は午後7時から御旅所にて御旅所祭が行われます。
 
イメージ 1
 
そして夕方から各家々で宴が催され、町には数々のイベントやつくりものや展示コーナーが設けられ町中が宴会場と化します。
 
イメージ 2
 
三原のやっさ踊り♪
 
イメージ 3
 
似過ぎ!マツコSP
 
イメージ 4
 
明日、繰り出す二基のチョウサイもライトアップ こちらは町衆のチョウサイ
 
たぶん明治前期の作だと思うのですが、、、四方に唐破風の屋根と鷹あしらった彫刻が目を引く白木の仕上げが美しいチョウサイです。
 
イメージ 5
 
こちらは浦方のチョウサイです。
年代的には新しいと思われます。昭和の初期か?、、、装飾はシンプルですが、町衆のチョウサイよりも大きく見えます、。
 
イメージ 6
 
子供たちも明日まで待てないのでしょうね、、、
チョウサイに乗って楽しんでいます。いつの時代も変わりませんね。
 
かくして祭りの宴は夜遅くまで続きました。
 
イメージ 7
 
 

御幸町の秋祭り 荒神社 こども神輿

$
0
0
イメージ 1
 
渡守神社の例祭に賑わう鞆の旧七ヶ町と同時に行われるのが御幸町の荒神社の例祭です。
今年は御幸町誕生100周年とあって記念の歴史写真展も開催されました。
写真展の方は後日紹介させて戴くとして、今回は子ども神輿の模様をお届けします。
 
イメージ 2
 
朝9時、荒神社にて神主を招いて祝詞が奏上されます。
 
その後、町に降りて子ども達の神輿巡行に伴う安全祈願を行います。
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
御払いの〆は紙吹雪~♪
 
イメージ 5
 
でいよいよ子ども神輿の出番です。
 
イメージ 6
 
こちらは御幸一の年少組 担ぐのはまだまだ難しいかな、、、台に乗せてみんなで引っ張ります。
 
イメージ 8
 
出~発っ!
 
イメージ 7
 
こちらは高学年のお神輿  台には載せず手に持って運びます。
 
イメージ 9
 
御幸町100周年と書かれた御神燈の下を進む子ども神輿、、、、
 
しかしここでタイムアップ(涙)
 
私は世話方の仕事の為、すぐ隣の渡守さんのお神輿が渡御されている原町の御旅所へ、、、
この後は渡守さんの神輿還御に同行となりました。
 
 

渡守神社例祭 三日目 神輿還御祭+α

$
0
0
一度に出すとネタ切れになるのでチョウサイの出番まではもうしばらくお待ち下さい(笑)
 
午前10時、原町に渡御されていた渡守の神様が神社へと還御されます。
還御に先立ち祝詞が奏上され、世話方らがお払いを受けます。
 
イメージ 1
 
原町を出発した神輿は先ずは要害御旅所へ、、
神輿にはなぜか狭い小路が良く似合います。
 
イメージ 3
 
、、、でもちょっと狭すぎるかな?
 
イメージ 4
 
神輿は要害の御旅所下の鳥居の前で止まります。
この御旅所は祇園社の御旅所の為、渡守の神輿は敬意を払って一歩下がってという慣わしです。
 
イメージ 5
 
お供えもの、、、いつも並べる時に順番を間違うので参考資料にと写真撮影の命令が、、、
 
イメージ 6
 
その後は江の浦元町にある渡守神社の御旅所へ、、、
ですが写真がありません、、、、
 
その代わりにこんなものを撮っていました、、、、
 
イメージ 7
 
江の浦元町のチョウサイ蔵の中、、、大小のチョウサイが並んでいます。
いよいよ来年は出番ですね。
 
であとはこんなものも、、、
 
イメージ 8
 
原町の浴衣のひょっとこの絵って、、なんかほのぼのしていていいですよね。
 
で、、、江の浦元町の御旅所を出発した神輿は西町と関町の堺にある渡守坂(ともざか)の御休所へ、、、
 
イメージ 9
 
かつて渡守社があったさとされる場所の正面で止まり、祝詞が奏上されます。
 
で、、、、その後は、、、、
 
すっかりサボって写真が、、、、ありません。
でも、、、こんな写真が、、、
 
イメージ 2
 
ん、、、これは渡守神社の参道にある鳥居です。
海の神様らしく宮島風の鳥居ですが、実は足元の腐敗が激しく、近々解体修理となるそうです。
 
かくして渡守の神様は無事に還御され、いよいよ無礼講のチョウサイの出番です。
もちろん今夜はもったいぶってチョウサイの写真はお預けです(笑)
 
また明日以降で紹介させて戴きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

渡守神社例祭 三日目 チョウサイ in 矢来小路

$
0
0
原町のチョウサイの最大の見所と言えばやはりこれです!!
 
イメージ 1
 
ん?、、、、
 
イメージ 2
 
ん?、、、、、
 
やってきました!
 
イメージ 3
 
 
狭い狭い矢来小路を座布団を下ろしてまで曳くんです。
もちろん自町なので当然なのかもしれませんが、狭い小路を通るチョウサイと氏子の密度がなんとも言えない雰囲気をかもし出すんです♪
 
イメージ 4
 
この人口密度感がたまらないですよねぇ~
 
イメージ 5
 
七年ぶりに味わう幸せの瞬間♪♪
 
狭い狭い矢来小路を通すために原町のチョウサイはある工夫をしています。
 
イメージ 6
 
そうなんです。
手木がとても短いのです。
 
去年の鍛冶町のチョウサとを比べてみればその短さがよく分かります。
 
原町以外でも狭い場所を通す町のチョウサイは概ね手木が短く造られています。
町の角やクランクが曲がれないとどうしようもないですからね。
 
 
イメージ 7
 
矢来小路を無事抜けたチョウサイはお色直し?でまた座布団を載せて原町から他の町へと進んで行きます。
 
 
 
 

渡守神社例祭 三日目 チョウサイ 笑顔 笑顔 笑顔

$
0
0
今回の原町のチョウサイで特に印象的だったことはなによりも氏子たちの笑顔でした。
 
 
イメージ 2
 
これ以上ない笑顔ですね~♪
 
 
イメージ 1
 
原町の氏子は祭りを楽しむことにかけては七ヶ町随一ですが、みんなその楽しさを笑顔でおもいっきり表現していました。
 
イメージ 3
 
あっちでも、、、
 
イメージ 5
 
こっちでも、、、
 
 
イメージ 6
 
みんな幸せ一杯の笑顔です。
 
イメージ 4
 
笑顔が爆発してバンザ~イ♪
 
イメージ 7
 
良い祭りであったなによりの証拠はこのたくさんの笑顔ですね。
 
イメージ 8
 
きっと七年後も原町の氏子たちの満面の笑顔が鞆の町を包みこむことでしょう。
 

渡守神社例祭 三日目 チョウサイ 驚愕のパワー 原町レディース

$
0
0
今週はしつこいくらい続きます(笑)、、、チョウサイのネタ、、、
 
写真はチョウサイが町を一周して原町へと帰った午前1時から2時前のものですが、、、
 
イメージ 1
 
よく見ると、、、手木の周りは女子、、女子、、じょし!!!
 
イメージ 2
 
最後は完全に男衆を圧倒していました。
 
そのうちチョウサイが二台ある原町は、、、チョウサイもメンズとレディースに分かれたりして、、、、
 
イメージ 3
 
「おんなチョウサイ」なんて出来たらカメラマンが黒だかりになるかもしれませんね(爆)
 
まぁそんなことにはならないかもしれませんが、とにかく最後までパワーが凄かった原町のレディースでした。
 

御幸町100周年 記念歴史写真展

$
0
0
ちょっと紹介が遅れてしまいまいしたが、今年の御幸町の荒神さんの秋祭りに併せて御幸町100周年記念の歴史写真展が御幸一の町内会館で行われました。
 
イメージ 1
 
御幸町の名の起こりは、明治32年(1899年)10月24日、海路で広島に向かう途中の皇太子(後の大正天皇)が鞆へ寄られ、沼名前神社参拝後、当地の御幸町の山中を狩猟で散策されたことを記念して、当時は原村とよばれていたこの地区を大正2年(1913年)に御幸町と改名されたそうです。
 
ということで平成24年(2012年)の今年は御幸町も誕生してついに100年ということになりました。
館内にはその足跡を伝える資料が資料館友の会の先輩である北村さんによって展示されていました。
 
イメージ 2
 
で、その向かいには、、、
 
イメージ 3
 
こんな感じで昭和20年代後半から30年台前半の写真がたくさん展示されました。
実は今回、この企画に対して私の方に事前の相談があり、御幸町100周年ということで喜んで収集した写真を
提供させていただきました。
 
みなさん昔の写真を指してなにやら昔話に花を咲かせています♪
 
イメージ 4
 
これは昭和30年前後の当地御幸町にあった町営住宅界隈です。
現在の鞆中学校下の市営住宅がある場所ですが、全く風景が変わっています。
 
で、、、写真には○○家、○○家なる矢印の表示が飛び交っています。
この写真を御幸町のみなさんが見た瞬間の情景が想像できます。
きっと  「おぉ~、、、こりゃ~ら○○の家じゃ~、こっちは○○兵衛の家じゃ~、、、なつかしいのぉ~、、」なんてことになったんでしょうね。
 
御幸町の古い写真はそんなには多くはなかったのですが、その他にも現在の変電所の場所にあった鞆電気株式会社の創業時の資料や鞆鉄道のラッキョ汽車が走る姿などが展示されました。
 
イメージ 5
 
祭りの間の本当に短い期間の展示ではありましたが、みなさんに喜んでいただいて本当に良かったです。
私自身もまた別の機会に、昔の鞆の写真展をと思っています。
 

小さな胡神社のお祭り

$
0
0


今日は西町の浜にある小さな胡神社のお祭りがありました。
お祭りと言っても祇園さんから神主を招いて祝詞を挙げてもらうだけの小さなお祭りです。
鞆といえばお手火神事や秋祭りなどの派手で大規模な祭りばかりが注目されますが、私は年間40近くあるこのような小さなお祭りの存在こそが鞆独特の風土を作っていると思っています。
大きな祭りも大切ですが、このような小さなお祭りも同じように大切だと思います。


この胡神社は江戸時代前期の史料「あくた川のまき」にもその記述がある歴史ある胡社です。
西町には昔から漁師はまったくいませんので、西町の商人たちが商売の神様として建立したものだと思われます。

午後11時から祭事が始まりました。
祭事への参列は西町の世話方4名と近所のおばちゃん、そしてすぐ向かいのフリースペース白壁で行われている福山アートウォーク2012のスタッフをされている方々にも飛び入り?で参列して戴き、御払いをしてもらいました。

我々地元の氏子だけではなく、祭事に参列された方々全てに胡様のご利益があればよいですね。

月夜の鞆の浦

$
0
0

イメージ 1

朝夕はすっかり涼しくなりましたね。
スカイラインから見る宵の月空も秋っぽくなってきました。

碧く、白く輝く秋の月夜の鞆の浦の風景です。

台風一過

$
0
0
台風一過というよりは、逸れたと言った方がいいかもしれませんね。
今回の台風17号は太平洋側に逸れた為、鞆には特に被害はないようでした。
 
イメージ 1
 
台風に備えて鞆港に避難していた仙酔島への渡船も営業再開で港を離れます。
 
後山へ上がってみると、、、
 
イメージ 2
 
海が濁っていつもとは違うちょっぴり不思議な色をした海が広がります。
 
イメージ 3
 
何色と表現したらいいのでしょうか?
乳白色が混ざった海の色、、、バスクリン色、、、?
 
イメージ 4
 
雲はありましたが、雲の間から真っ青の空も覗いていました。
 
イメージ 5
 
そして、いつもの穏やかな瀬戸の海が広がっていました。
 
 
 
 

鳥居が、、、、

$
0
0
沼名前神社の境内社の渡守神社の鳥居といえば枠差鳥居、もしくは四つ脚鳥居とも呼ばれる宮島の大鳥居と同じような形をしたものですが、、、、、
 
 
 
、、、?
 
 
ない、、、、
 
鳥居がない!!!
 
イメージ 1
 
 
、、、、(汗)
 
 
イメージ 2
 
鳥居が建っていた束石には朱塗りの塗料の後が、、、、
 
鳥居がなくなってまだ間がないようだが、、、、一体だれが???
 
 
、、、ってのは冗談で、この渡守神社の鳥居は柱の腐敗が激しい為に、渡守神社の例祭が終わるのを待って解体、改築となったそうです。
 
新たに建て替える日にちはまだ聞いていませんが、近いうちに朱塗りの美しい鳥居を再び拝めることが出来ればいいですね。
 
 
イメージ 3

【在りし日の渡守神社の鳥居】

謎の幟の正体は?、、、

$
0
0
江の浦町にそびえ立つ岡本亀太郎本店の蒸留棟
よく見ると、、、窓から幟が、、、、
 
イメージ 1
 
戦の知らせか???、、、はたまた客寄せか?、、、
 
 
実はこれでした!
 
イメージ 2
 
これ鯉のぼりならぬ鯛のぼりだそうです!
 
現在、福山商工会議所ならびに青年会議所が主体となって行っている日韓の芸術家による「鞆の浦 de ART」が行われており、その作品だったのです。
 
この他にも沼名前神社や法宣寺、城山などにちょっと変わった面白い作品が展示されています。
 
会期は10月8日までとなっていますので、ぜひ散策してみて下さい♪
 
 
、、、、本日のオマケ!
 
この高くそびえる蒸留棟の中は、、、、
 
イメージ 3
 
ジャッキー・チェンのカンフー映画のクライマックスシーンにも使えそうなくらいメチャメチャかっこいいんです。
 
但し、一般公開はしていません。
 
どーしても見たい方は、岡本亀太郎本店でたくさん買い物をして常連客になって、、、専務の良知氏におねだりしてみてください♪
 
 
 

Moonlight Tomonoura

$
0
0
中秋の名月は過ぎてしまいましたが、、、今夜の風景です。
 
イメージ 1
 
で、夜11時になると弁天島の照明が消えます。
 
イメージ 2
 
ちょっと暗いですが、月明かりのみの風景もなかなかいいものです。
 
イメージ 3
 
しかしどんな撮り方をしても本物の美しさは表現できませんでした。
 
本当に美しい月夜が見たい方はぜひ足を運んでみて下さい。
 
 

ここはどこ?

$
0
0
今夜から始まる鞆の古い町家当てクイズ(笑)
ひょっとしたら今夜が最初で最終回かもしれません(爆)
 
で、、、今夜の町家当てクイズの建物はこれです!
どこだか分かるかなぁ~?
 
 
イメージ 2
 
極端に低い2階の部屋、屋根の野地板のままの天井
 
イメージ 1
 
剥がれた土壁と丸太に近い杉柱を介して横に通った貫板がアクセントの壁
 
イメージ 3
 
梁は松でしょうか。古材を再利用しているものもあります。
壁に掛かった時計が刻む時間がとてもゆっくりに感じます。
 
イメージ 4
 
低い位置に付く窓から外を眺めると、、、
 
イメージ 5
 
こんな風景が、、、窓越しに見える庇の瓦は本瓦葺きのようです。
 
階段方向を見ると1階の明かりが漏れてきています。
 
イメージ 6
 
最大のヒント(笑)
階段の下を覗き込むと、、、
1階では女性がなにかを作っているようですが、、、、
 
イメージ 7
 
さて、ここはいったい鞆のどこでしょうか?
 
見事正解された方には、、、、、
 
 
なにも出ませんが(笑)がんばって当ててみて下さいね♪
 
 
 

ここはどこ? 第二弾!

$
0
0
昨日で終わる予定だった古い町家当てクイズ、、、
好評?につき急遽変更しての第二弾となりました(笑)
 
 
で、、、昨日の答えはこちら!!
鞆人さん達には簡単すぎましたね(笑)
 
イメージ 1
 
昔は○野のタバコ屋、、、現在のステンドグラスの茜屋でした。
 
ちなみに二階は一般には公開していないので、なかなか見ることができません。
私も同級生が住んでいた30年以上前には上がったことがなかったので、初めての経験でした。
 
で、、、今夜はこれです!!!
 
イメージ 2
 
窓の外に見えるのは、、、ずいぶんと立派な建物ですねぇ~、、、
 
厳密に言うと、、、この写真を撮影した建物は町家じゃないんですけど、、、、
さてこれはどこ(どこの建物)から撮影した写真でしょうか?
 
これも簡単かも♪
 
 
 
 

ここはどこ?、、で思わぬ大発見!

$
0
0
またまた続く?、、、訳ではないのですが、、、とりあえず前回の答えです。
 
イメージ 1
 
南側を望むとこんな風景、、、、
 
そうです。
正解はフリースペース白壁の2階でした。
 
イメージ 2
 
2階から港を望むとこんな風景。
なかなか贅沢な空間です。
 
で、、、その2階はこんな感じなんですが、、、
 
イメージ 3
 
この写真を見ていて、先日「大発見」をしました!!!
 
みなさん、、何が大発見か分かりますかぁ~?
 
 
屋根を支える小屋束をよ~く見てみて下さい。
 
 
上の写真に写っている小屋束の一本を拡大してみます!
 
 
イメージ 4
 
、、、何か文字が、、、
 
 
そうなんです。
この土蔵にはなんと建築当時のものと思われる棟札がしっかりと残されていたのです。
思わぬ発見に詳細な調査に行ってきました! 
 
これです!!
 
イメージ 5
 
安国寺の棟札です!
現在では棟札といえば神社のものを飾りますが、江戸時代や明治時代などは神仏習合の習慣が色濃くのこっており、お寺のものも珍しくありません。
 
で。私が注目したのはこの棟札の年代です。
 
写真を拡大&画像処理をしてみます。
 
イメージ 6
 
瑞雲山安国寺の字の右側に「明治五年壬申晩秋、、」とあります。
そうです、この土蔵は今から140年前の明治5年(1872年)に建てられた可能性が限りなく高いことが分かりました。
 
棟札の正面には「奉轉讀大般若全函」と大般若経を転読するという意味と思われる言葉が書かれています。
 
この棟札が創建当時であるというのが限りなく高い理由として、この土蔵の建つ場所はかつての福山藩の御茶屋があった場所であり、財政難に陥り土地を民間に売却しと言われている幕末頃から年数がほとんど経っていないことからも、この棟札は大規模な改修工事を行った後の後世のものではなく、創建当時のものである可能性が限りなく高いと思われます。
また御茶屋自体も江戸時代後期に廃墟、土地が売却されたのではなく、版籍奉還後に廃棄、民間に売却された可能性も出てきました。
 
今までこの土蔵は、江戸時代後期と見られていましたが、実際には版籍奉還、廃藩置県後のものであったようです。
 
福山藩の御茶屋の歴史は謎に包まれた部分が多く、いつ頃廃棄され、土地が民間へ払い下げになったのかがはっきりとしていません。
そういった中で、かつての御茶屋跡に建つこの土蔵の建立年代は御茶屋がいつまで存在したのか?そのひとつの資料となるかもしれません。
 
この年代の建物で棟札が残されたものは以外に少なく、そういう面では非常に大きな発見でもありました。
 
 
 
 
 
 

鞆城の遺構か?、、、 墓地に残る古井戸

$
0
0
大好評、、、でもない雰囲気のここはどこ?シリーズはちょっとお休み?、、、(笑)
 
で今夜はかなりマニアな場所のご紹介です。
本日紹介する場所はこちらです!!
 
イメージ 1
 
ん?、、、、電柱?
 
違います、、、、
 
これです。
 
イメージ 2
 
かなり古そうな井戸です、、、、
鞆に現存する江戸後期、明治期の共同井戸の井戸枠とは石の削り方が明らかに違います。
 
そしてこの井戸にはもうひとつ大きな特徴があります。
 
これです!!!
 
イメージ 3
 
ん?、、、、分かんない?
 
 
ではもっと拡大します!!!
 
イメージ 4
 
井戸枠の石の内側には「回」の刻印があります。
 
この「回」の刻印を見て気付く鞆の方は結構いると思います。
「回」の刻印を記した石はここにあたくさんあります。
 
 
イメージ 5
 
ん、、、、?
どこどこ?
 
 
ここです。
 
イメージ 6
 
そうです。
城山です。
 
これらの石は関ヶ原の合戦以降に安芸・備後を領地として入赴した福島正則の時代に鞆城築城の為に運んできたとされる石群です。
 
で、、、先ほどの井戸枠にも同じ「回」の刻印があるということは、、、
 
この井戸はかつて福島正則が築こうとした鞆城の遺構の可能性がとても高い井戸なのです。
もちろん、場所はかつての鞆城跡の城山の周辺です。
 
 
さて、、、問題です(爆)
 
この古井戸はどこにあるでしょうか?(笑)
 
 
 

新町に残る大井戸 

$
0
0
昨日は鞆城の遺構と思われる古井戸を紹介しましたが、正確な場所はここです。
 
イメージ 1
 
正解は真言宗地蔵院の北西の端でした。
 
で、かつての江戸期の古地図を見ると、、、
 
イメージ 2
 
この井戸の付近に「井」の印がありました、、、、が、、、
この井戸が古地図に示されたものかは判別できません。
鞆城周辺の井戸は特に興味深いので、今後調査を行いたいと思っています。
 
で、、今夜紹介するのはかつての鞆城周辺にあるこの大井戸です!!!
 
イメージ 3
 
ん?、、、、見えない?
 
そうなんです。この井戸は人目に付かない場所にあります。
が、、、地元の古老の案内で写真撮影に成功しました。
 
これです!!
 
イメージ 4
六角形の井戸枠のかなり大きな井戸です。
井戸枠の雰囲気から江戸時代後期、または明治初期頃のものでしょうか?
 
案内してくれた地元の古老の話によると、この場所は井戸を使う為に近所の家5軒が共同で購入した土地とのことで、井戸が使われなくなった現在では入り口が塞がれた状態で放置されているとのことでした。
 
また井戸の側にはこんなものも、、、
 
イメージ 5
 
水神を祀った五輪塔でしょうか?
石によってはかなり古そうなものもあります。
また井戸枠の一部のようなものもありました。
 
残念ながら中には入ることが出来ませんでしたので、詳細は今後の調査をと考えています。
 
ちなみに新町とはかつての鞆城廃城後に置かれた奉行所の土地の一部で、江戸時代半ば以降に一部が民間に払い下げになった場所、現在の関町の一角のことを指します。
 
この井戸の詳しい場所は地元の人以外はまず分からないと思います。
 
結局、今夜も「ここはどこ?」クイズになってしまいましたね(笑)
 
関町の方、、、、ご存知ですかぁ~?
 
 
 
 
 
 
 
Viewing all 1610 articles
Browse latest View live




Latest Images