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昨日、県主催で今まで行ってきた住民協議会での議論の経緯の説明会があったが、参加した住民からの県に対する意見や質問の内容はテレビや新聞でも紹介されこの問題に関心を寄せる多くの方々は周知の通りであるが、、共通して言えることは「活性化とは何か?」という真の意味を参加者がどれだけ理解してるのかという疑問を抱かざるを得ない内容でであった。
結局、議論の焦点は住民、マスコミ、そして県も含めて「橋かトンネルか」だけになってしまっている。
残念ながら橋もトンネルも活性化の切り札には成り得ない。それは日本全国を見れば一目瞭然だ。
費用対効果も望めない道路行政を推し進めた結果、日本は借金大国になってしまった。
隣の内海町を見ればよく分かる。橋が架かり利便性は向上したが、人口流出は防ぐことはできず、みんな島内で物を買わなくなり、そればかりか多くの釣り客が町外で買ってきた弁当ガラや空き缶などのゴミを島内に散乱させ大問題にもなった。
道路が整備されている備北地区を見ても同じだ。道はきれいになったが人口の流出を防げた地区は皆無に近い。
そればかりでなく高速道路が整備され利便性が向上した観光地は逆に泊り客が激減し、ホテルや旅館の倒産が相次いでいるのが現実なのだ。
しまなみ街道が出来た後の四国の多度津市のゴーストタウンの惨状を見れば道路がもたらす恐ろしさをまざまざと痛感する。
話は戻るが鞆の住民ほぼすべてが望んでいる究極の目的は「鞆町の活性化」であるはずだ。
活性化=鞆の町としての繁栄、他地域に比べよりよい生活を営める場所。
その基盤となるのが安定した雇用である。
そもそも鞆の衰退の一番の原因は労働人口の減少にある。
早い話が鞆で飯が食えない、魅力的な働き口がない、もしくは少ない為だ。
もし鞆に多くの雇用があり、魅力的な雇用場所があればみんな鞆で働きたがる筈だ。
ここに問題の本質がある。
つまり橋だトンネルだと延々と議論をしても無駄なのだ。
橋やトンネルは所詮活性化の本質ではなく、あくまでも補助的なハードの政策の一つに過ぎないのだ。
それよりも若い労働人口の世代の人々が住める為にどう雇用を創出するか?
その為のシステムの構築はどうすれば良いのか?が本来の議論の争点でなければならない。
若い人々が住むことは安心安全なまちづくりの基礎である。
また人が住めば町内の内需も拡大する。
再び町内に経済の循環システムが機能してこそ鞆の活性化となるはずた。
このヒントになるのが明治43年に設立した株式会社鞆軽便鉄道の株主構成に見ることが出来る。
この時代、蒸気船が普及し始め、尾道との港間の競争に敗れた鞆が取った最大の民間での活性化策でもある。
鉄道により物と人の流れを活性化し、鞆の繁栄を取り戻そうとした巨大プロジェクトだ。
ここで面白いのが鞆軽便鉄道の株主構成である。
写真は鞆軽便鉄道設立時の株主一覧の一部であるが、株主はなんと120名近くいて、その多くが鞆の商人である。
そこには鞆の商人全体で会社を設立することにより、鞆町内での需要を確たるものして経営の安定を図ると同時に、鉄道事業に関して鞆の商人同士の循環システムを構築して鞆町内の内需の拡大を図ることも考慮している。株主を優先するのは当然だからだ。
物流と人の移動の活性化は町内の内需の拡大はもちろん、雇用にも当然好影響をもたらす。
またこの時代、日本各地で急速に発展しつつあった観光事業に対する布石ともいえる先見の事業でもある。
一見鉄道というハード事業にしか見えなくもないが、鞆の商人を町ぐるみでシステムに組み入れることによって強固なソフトを構築しているのである。
そこにはまさに鞆の繁栄を願う「共存共栄」の姿を見ることが出来るのである。
鞆ではこれ以前の江戸時代にも、(備後以外の)他国と商売をする際に必要な銀子を商人同士の積立金で融通する「敬重銀」制度や、芸州尾道との港間競争に勝つために町民から軒別に1文づつ積み立てる「一文講」や町有の網を使ってボラを捕り収益を港の整備に使う「隠徳講」など、町の繁栄の為に「システム」を構築して町民が一丸となり鞆の繁栄を支えたのだ。
こればかりではない。かつての祇園社、現在の沼名前神社の境内の整備や各種の祭りが派手なのも、「観光客(参拝者)」の誘致による鞆経済の活性化を考えた末にそうなったのである。
そこには常に「鞆の繁栄」を念頭に置いた先人たちの知恵を見ることが出来るのである。
先人たちから学ぶ鞆の繁栄を支えたもの。
それはハードだけではなく「人」を中心に考えた「ソフト」であり「システム作り」であると言えるだろう。
我々は今一度、鞆の先人たちが支えたこの町の繁栄を学び、そして未来の鞆を支える「新しいシステム」を構築する為に、住民が一丸となる必要があるのではないのか?
真の活性化はハードだけに頼らず、住民自らソフト面のシステムを構築すること。
お上におんぶに抱っこだけでは駄目なのだ。