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Channel: 鞆の浦日記
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お弓の準備 始まる

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鞆の春の訪れを告げる祭事、お弓神事の準備がいよいよ始まりました。
今年のお弓神事は2月11、12日なのであと一ヶ月後です。
今年の当番町は我が西町です。
今日は午前中に沼名前神社境内の休憩所に弓の仮設練習場を設けた後、午後から笹竹を伐りに後山へ、、、
 
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お弓神事には中指程度の笹竹をたくさん使います。
 
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笹竹を何に使うのか?、、、、これを作るために必要なんです。
 
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これは当番町の氏子の家全戸と七ヶ町のお弓神事への関係者にお配りする飾り矢です。
おそらく鞆町内の方々以外は見ることがないと思います。
西町ではこの飾り矢を約80セット程作ります。
この飾り矢は出来上がったものを神社でご祈祷して戴いた後に各家々に配られます。
飾り矢はお守りとてはもちろん、お弓神事に参加できない町内の氏子の家々にも神の恩恵をと願う鞆ならでなの素晴らしい習慣です。
 
笹竹を伐った後は、町内に持ち帰り成形作業です。
これが結構大変なんですよね、、、特に我が西町は人数が少ないもので、、、
今日は西町の祭事運営委員のメンバーで朝9時前から夕方5時までみっちり仕事したので本当に疲れました、、、
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笹竹は良い部分だけを寸法を取って切り、皮を取り、節を削って整え、矢尻部分を割って羽を取り付けた後、二本を一セットにくくり付け、熨斗を付けてようやく完成します。
 
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週明けから保存会、弓友会の方々の指導の下、毎晩の二人の弓主の練習、的の作成などの準備を経て、ようやくお弓神事を迎えられるようになります。
 
 
 
 
 

黄金色の弁天島

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この週末は本当に良い天気でしたね。
朝、弁天島の背後から昇る朝日も本当にきれいでした。

弁天島の背後から出る太陽に、福寿堂が浮かび上がるように見える景色は本当に素晴らしいのひとことです。
ところで福寿堂をよく見ると、2階部分から建物を通して光が漏れているのが分かります。
福寿堂の2階の窓って格子になっているんですね。

今更ながら新たな発見をしたような気持ちになりました。

先人に学ぶ真の町の活性化とは?

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昨日、県主催で今まで行ってきた住民協議会での議論の経緯の説明会があったが、参加した住民からの県に対する意見や質問の内容はテレビや新聞でも紹介されこの問題に関心を寄せる多くの方々は周知の通りであるが、、共通して言えることは「活性化とは何か?」という真の意味を参加者がどれだけ理解してるのかという疑問を抱かざるを得ない内容でであった。

結局、議論の焦点は住民、マスコミ、そして県も含めて「橋かトンネルか」だけになってしまっている。
残念ながら橋もトンネルも活性化の切り札には成り得ない。それは日本全国を見れば一目瞭然だ。
費用対効果も望めない道路行政を推し進めた結果、日本は借金大国になってしまった。

隣の内海町を見ればよく分かる。橋が架かり利便性は向上したが、人口流出は防ぐことはできず、みんな島内で物を買わなくなり、そればかりか多くの釣り客が町外で買ってきた弁当ガラや空き缶などのゴミを島内に散乱させ大問題にもなった。
道路が整備されている備北地区を見ても同じだ。道はきれいになったが人口の流出を防げた地区は皆無に近い。
そればかりでなく高速道路が整備され利便性が向上した観光地は逆に泊り客が激減し、ホテルや旅館の倒産が相次いでいるのが現実なのだ。
しまなみ街道が出来た後の四国の多度津市のゴーストタウンの惨状を見れば道路がもたらす恐ろしさをまざまざと痛感する。


話は戻るが鞆の住民ほぼすべてが望んでいる究極の目的は「鞆町の活性化」であるはずだ。
活性化=鞆の町としての繁栄、他地域に比べよりよい生活を営める場所。
その基盤となるのが安定した雇用である。

そもそも鞆の衰退の一番の原因は労働人口の減少にある。
早い話が鞆で飯が食えない、魅力的な働き口がない、もしくは少ない為だ。

もし鞆に多くの雇用があり、魅力的な雇用場所があればみんな鞆で働きたがる筈だ。

ここに問題の本質がある。

つまり橋だトンネルだと延々と議論をしても無駄なのだ。

橋やトンネルは所詮活性化の本質ではなく、あくまでも補助的なハードの政策の一つに過ぎないのだ。


それよりも若い労働人口の世代の人々が住める為にどう雇用を創出するか?
その為のシステムの構築はどうすれば良いのか?が本来の議論の争点でなければならない。

若い人々が住むことは安心安全なまちづくりの基礎である。
また人が住めば町内の内需も拡大する。
再び町内に経済の循環システムが機能してこそ鞆の活性化となるはずた。

このヒントになるのが明治43年に設立した株式会社鞆軽便鉄道の株主構成に見ることが出来る。
この時代、蒸気船が普及し始め、尾道との港間の競争に敗れた鞆が取った最大の民間での活性化策でもある。
鉄道により物と人の流れを活性化し、鞆の繁栄を取り戻そうとした巨大プロジェクトだ。

ここで面白いのが鞆軽便鉄道の株主構成である。
写真は鞆軽便鉄道設立時の株主一覧の一部であるが、株主はなんと120名近くいて、その多くが鞆の商人である。
そこには鞆の商人全体で会社を設立することにより、鞆町内での需要を確たるものして経営の安定を図ると同時に、鉄道事業に関して鞆の商人同士の循環システムを構築して鞆町内の内需の拡大を図ることも考慮している。株主を優先するのは当然だからだ。
物流と人の移動の活性化は町内の内需の拡大はもちろん、雇用にも当然好影響をもたらす。
またこの時代、日本各地で急速に発展しつつあった観光事業に対する布石ともいえる先見の事業でもある。

一見鉄道というハード事業にしか見えなくもないが、鞆の商人を町ぐるみでシステムに組み入れることによって強固なソフトを構築しているのである。

そこにはまさに鞆の繁栄を願う「共存共栄」の姿を見ることが出来るのである。

鞆ではこれ以前の江戸時代にも、(備後以外の)他国と商売をする際に必要な銀子を商人同士の積立金で融通する「敬重銀」制度や、芸州尾道との港間競争に勝つために町民から軒別に1文づつ積み立てる「一文講」や町有の網を使ってボラを捕り収益を港の整備に使う「隠徳講」など、町の繁栄の為に「システム」を構築して町民が一丸となり鞆の繁栄を支えたのだ。
こればかりではない。かつての祇園社、現在の沼名前神社の境内の整備や各種の祭りが派手なのも、「観光客(参拝者)」の誘致による鞆経済の活性化を考えた末にそうなったのである。
そこには常に「鞆の繁栄」を念頭に置いた先人たちの知恵を見ることが出来るのである。

先人たちから学ぶ鞆の繁栄を支えたもの。
それはハードだけではなく「人」を中心に考えた「ソフト」であり「システム作り」であると言えるだろう。

我々は今一度、鞆の先人たちが支えたこの町の繁栄を学び、そして未来の鞆を支える「新しいシステム」を構築する為に、住民が一丸となる必要があるのではないのか?

真の活性化はハードだけに頼らず、住民自らソフト面のシステムを構築すること。
お上におんぶに抱っこだけでは駄目なのだ。

お弓の練習始まる

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2月12日の本番に向けていよいよ弓主の練習が昨日から始まりました。
大弓主、小弓主共に弓道とは無縁の二人でしたので、先ずは弓の作法等の型をみっちり練習します。
午後7時半、弓友会の中山先生指導の下、二人の弓主が沼名前神社の休憩所で毎晩約2時間の猛特訓です。
世話役の我々は的の準備等をしながら練習を見守ります。
こらから約1ヶ月後には二人は本番の晴れ舞台を迎えることになります。

格子戸のある風景

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格子戸から覗く店内、この写真はかつての鞆の遊郭であった有磯町、現在の道越町にあるギャラリーありそ楼の風景です。

ありそ楼の格子戸を見ていると、やっぱり鞆には格子戸が似合うなって再認識してしまいます。
使い勝手が悪い、掃除がしにくい、家の中が暗くなるなどの理由から年々格子戸の町家も減ってきていますが、やはり鞆には格子戸が似合いますね。

格子戸の良さを再認識出来るお店、それがこのギャラリーありそ楼です。



※掲載の写真は店主の三藤さんの許可を得て撮影しおります。断りなく格子戸を覗き込むような撮影は、お店ならびにお店を訪れているお客様に対して迷惑にあることもありますので、くれぐれもご注意下さい。

お弓の準備 その2

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日曜日を除く毎晩、沼名前神社の休憩所で弓主を努める二人が練習に励んでおりますが、その練習を見守りながら、的の支度や飾り矢などの製作を行っています。

的は神事が終わった後で割ってお守りとする為に裏面に鞆八幡宮の印を押します。
今夜から飾り矢の羽の製作も始めました。
お弓神事まであと1ヶ月弱、いよいよ準備も本格的に始まりました。

しかし今年のお弓神事で大弓主を務めるわたる君、、、、小田和正に似てません?!!

鞆の町の真の価値を知る 東大稲垣レポート

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鞆の町の本当の価値を知る上で大変貴重な調査資料があります。
1985年に東京大学の稲垣研究室が発表した通称”稲垣レポート”「近世の遺構を通して見る居住に関する研究」です。
 
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このレポートでは古文書や史料等に記された鞆の町の特徴や、鞆に現存する江戸期の町家の調査などを行って鞆の町の特徴などが細かく掲載されていますが、レポート最大の見せ場は1700年(元禄13年)の検地帳を元に、当時の町(商店や家々の並び)の再現を試みていることです。
写真は元禄検地帳を元に当時の関町の町並みを再現したものですが、今と比べてもまったく町割りが変わらないことが一目で分かります。
 
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実は鞆の町の最大の価値はここにあります。 
鞆は約400年前から町割りがほんとど変化していないのです。
 
古い町並みといえばとにかく建物ばかりに目が行ってしまいますが、現実には建物以上に町割りの方が大切であり貴重なのです。
なぜかと言えば建物は修築すれば元通りに出来ますが、町の輪郭を変えてしまったらもう元には戻せません。
町割りを変えたところに江戸時代風の古民家を作っても所詮は「テーマパーク」、、、ニセモノにしかならないからです。
つまり町割りがほとんど変わっていない鞆は、建物さえ修築すればほぼ完全な江戸時代の都市が復元できる町なのです。
しかも他の町は古い建物が比較的残る限られた地区のみに町割が残る状態なのに対し、鞆は旧七ヶ町と寺筋等の後地のほぼ全域で変化がありません。
300年前の検地帳を元に町全域を復元可能な都市、これは全国的に見ても大変貴重な都市なのです。
ここに鞆の本当の価値があります。
 
そういう意味でこのレポートは検地帳を元に元禄時代の町を再現出来ることを証明した画期的なレポートなのです。
 
しかし残念なのがこのレポートの存在を知っている方は鞆町内にはほんの僅かしかいません。
このレポートはその後の福山市がまとめた鞆の町並の調査研究報告書にも多大な影響を与えましたが、結局鞆の人の目にはほとんど触れることなく現在に至っています。
残念ながら福山市もこの鞆の町の価値を住民にはまったく伝えていません、伝えようともしません。
私にはそれが本当に不思議でなりません。
鞆の町の価値を説かずにどうやって町並み保存ができるのかと、、、、
 
今後、国の町並保存指定地区である重伝建指定に平行して、鞆の人々が本当の町の価値を知ることが少しでも出来ればと思っています。
 町並保存は地元住民の協力なくしてはありえません、しかしその為には建物と同時に鞆の町の真の価値を知ることがとても大切です。
 
その意味ではこの稲垣レポートは鞆の町の価値に一石を投じた大変貴重な調査レポートなのです。
 
 
 
 
 
 
 

お弓の的作り

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今日からいよいよお弓の的作りに入りました。
今日は朝から江之浦元町の世話方をはじめとする有志の方々にご指導とお手伝いをしていただきました。

的には幅38mm、長さ2m、厚さ2.5mmのベニヤの短冊を二枚づつ編むようにして作ります。
写真は的の裏面で、ご祈祷し的として使用した後にお守りとなるように鞆八幡宮の印が押してあります。

最初のうちは簡単なんですが、大きくなるにつれて少しづつ歪んでくる為、だんだん難しくなってきます。
かまぼこ板を槌で叩いてベニヤが割れないように少しづつ押し込んでいくのですが、、、なかなか難しいですよね、、、

編み上がったら今度はさらに難しい作業、、、丸く裁断する作業があります。
裁断し、裏面に的を貼り付けるまではまだまだの段階です。

結構出来上がったように見えますが、、、難しいのはまだまだこれからです。

稲荷神社と御神木

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鞆の北部、安国寺のすぐ右横にある稲荷神社には大きな老木の御神木が立っています。

木は椋(ムク)の木でしょうか。幹の手前半分は枯れて抉れていますが幹の半分はまだ力強く生きていて、思わず自然の神の存在を感じてしまいます。
安国寺に訪れる方も、この神社と御神木の存在に気付く方はほとんどいませんが、鞆では沼名前神社能舞台横の椋、西町貴船神社の大銀杏に次ぐくらい存在感のある御神木です。

城山から望む朝の風景

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日の出を撮りに行くと曇り空の日などはどうしても空振りになる日があります。
そんな時にお勧めなのが城山からの朝の風景です。

まだ明かりが燈る常夜燈、夜明けと共に漁場へ向かう船

城山から望む朝の鞆港の風景は鮮やかな日の出の風景とはまた違った鞆の朝の美しさを教えてくれます。

重盛ゆかりの小松寺

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大河ドラマ「平清盛」で賑わう宮島ですが、ここ鞆にも平家ゆかりの寺院、小松寺があります。

小松寺という名は清盛の嫡男の平重盛が小松殿と呼ばれていたことにちなんで名付けられたようです。

平安時代末期、鞆を訪れた重盛はこの地に松を植え、自作の護身用の阿弥陀佛を安置したのがこの寺の由縁だそうですが、残念ながらそれをはっきり証明する証拠は現存していません。


しかしここ小松寺にはかつて重盛の手植えと伝わる天然記念物の松がありましたが、昭和29年に台風によって折れてしまい残念ながら境内にはその姿はありません。

かつての松は七島ブログ参照 http://blogs.yahoo.co.jp/koji0420207/28724160.html

しかしお寺の邸内にはその松の古木の一部が今も現存しています。

ここ鞆には厳島神社のような煌びやかな平家の話題はありませんが、平家滅亡から800年以上経た今もひっそりと伝わる平家の足跡が残されています。

阿弥陀さまの横顔

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安国寺の阿弥陀さまっていつも正面からの姿が定番ですが、、、、

ちょっと横顔を、、、

正面からのお姿もいいですが、横顔もななかのものですよ♪
正面から拝むと細面の表情ですが、横から拝むと少しふくよかで限りなく優しい表情を見せてくれます。

日曜日開催! 上田康博フオークソングライブin「ありそ楼」

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 あの「とものうらランデブー」の上田康博さんの生ライブが聞けるチャンスです!!
 
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知らない方の為に、、、とものうらランデブーってこんな曲です。
 
23年前、いろは丸調査の為の資金捻出の為に作った唄「竜馬ふたたび」が昨年CD化したことを受けて活動を本格的に再開した上田康博さん。
 
「龍馬ふたたび」はこちら

今回は道越町のありそ楼でのライブです。
オリジナルソングの他、70年代のフォークソングの演奏予定だそうです。
還暦を迎えて爽やかな声に渋さが加わった上田さんの声は最高ですよ♪
この機会にぜひ!!

上田康博フオークソングライブin「ありそ楼」
◎日時    1月22日(日) 14:00~16:00 
◎参加費   1000円(ワンドリンクつき)
 ◎定員    25名(要予約)
 ◎申込み   080-1636-7965(ありそ楼 みとう)
    

茜屋の新企画!?

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ステンドガラス工房兼雑貨店の茜屋さん。
 
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店主の横山さんの素敵な作品が並ぶ店内。
 
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やっぱり手作りって味があっていいですね。
 
で、雑貨の中になにやら見慣れないものが、、、、、
 
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実はこのはがき、、、鞆のお地蔵さんシリーズ のはがきなんです。
 
前々から私と店主の横山さんが企画していたものなんです。
この企画の趣旨は、かわいいお地蔵さんの姿だけではなく、鞆の新しい散策の楽しみ方の提案と同時に、このはがきの売り上げの収益を鞆のまちづくりに活かす為の活動資金にする為です。
継続的なまちづくりの活動には継続的な資金捻出が欠かせません。
助成金やスポンサーの協賛に頼るだけではなく、町の資産を活かし資金を捻出し、そして町に還元する。
そのような継続性のある活動を行う為にこの企画を考えた次第です。
 
当面の目標は、現在計画のまま止まっている戦後の鞆を写した写真展「あの頃の風景 あの頃の鞆のまち」を開催することです。
 
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この写真展の企画の目的は、古きよき時代の鞆の記憶を住民の方々に語ってもら為なんです。
 
人間って不思議なもので、自分の少年少女時代の頃の風景を見ると、昔の記憶が蘇り、その時代の素晴らしさを思わず語ってしまうことです。
昔の鞆の賑わいや人々の笑顔にあふれた姿、素朴な町の姿の中に、これからの鞆の活性化の鍵になるヒントがたくさんあると私は思っています。
 
年配の方々と昔の鞆の話をしているとよくこう言われます 「昔はえかった!」
 
で、私は満面の笑みでいつもこう返します 「じゃあ昔に戻そうや!」
 
そういう写真展が出来ればいいですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

文化財と住民の命を守る為に

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今朝は 安国寺の境内にて1月26日の文化財防火デーに先立っての消防訓練がありました。
文化財防火デーは昭和24年1月26日に、世界最古の木造建造物である法隆寺の金堂が炎上し、壁画が焼損したことを契機として制定されました。
朝8時、安国寺境内で火災発生の合図と共に訓練が始まりました。
 
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鞆は福山市消防団の第四方面隊に属しているので、鞆分団以外にも田尻、水呑、瀬戸、津ノ郷、熊野、赤坂、山郷の各分団の関係者も参加しての大規模な訓練でした。
鞆には寺社をはじめとした古い木造建築がたくさんあります。これらの建物は大変古く木材等も非常に乾燥している為に、一度火災が発生すれば貴重な文化財が失われるだけではなく、町の多くを巻き込んだ大火の恐れもあります。
これを防ぐ為には住民等による初期消火が何よりも大切です。
先ずは消防隊、消防団が到着するまでの想定で周辺の三町内会による消火器とバケツリレーによる初期消火の訓練が防火協会の稲葉会長の指導の下、行われました。
 
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続いて消防団が駆けつけての消火訓練です。
 
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放水までの手順の訓練、さすがに文化財に向かって放水はしません。
 
方面隊長に敬礼する我が西町のエースのたくましい姿も、、、、
 
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鞆を守る我らが鞆分団の勇姿です。
 
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文化財の大切さと同時に、消火訓練の大切さを学ぶ消防訓練は各自がその役割を迅速に全うし、スムーズなうちに終了しました。
 
 
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第七十六番霊場 金倉寺

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安国寺の境内、重文の釈迦堂の裏手にある新四国八十八ヶ所霊場の第七十六番 金倉寺
 
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小さなお堂の中には、穏やかな表情の薬師さまとかわいい薬師さまが仲良くならんでいました。
 
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小さなお堂ですがこのお堂、欄間の装飾がとても凝っていて、面によって趣が異なります。
しぶきを上げる波の上を鳥が飛ぶ南面の欄間の周りを見ていると、、、
 
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過ぎ去った夏の思い出が残されていました。
 
 
 
 

第10回 鞆町並ひな祭り

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やすらぎの町並みに心和むおひな様

今年で第10回目となる「鞆町並ひな祭」の準備もいよいよ最終段階になってきました。
今夜は開催前最後の実行委員会が資料館で行われました。

会期は2月9日(木)~3月11日(日)で、今回も鞆町内約100箇所での展示が行われます。

今回のひな祭りでは東北で震災を受けながらも残ったお雛様が保命酒屋の鞆酒造とギャラリー鞆の津ありそ楼で展示されます。

また関連行事として、鞆の浦歴史民俗資料館にて第23回新春企画展「雛祭」が会期中を通じて行われ、2月19日(日)10:00~12:00に鞆の浦歴史民俗資料館で折り雛教室、2月26日(日)10:00~15:00には資料館の前庭にてひな茶会、3月4日(日)10:00~12:00には資料館の前庭でひな菓子づくり大会などが行われます。

また市の観光協会が行う関連事業として「大正ロマン・鞆の女人絵姿」というイベントも行われます。
詳細は福山市観光協会HP参照  http://www.fukuyama-kanko.com/topics/001788.html

またひな祭りの期間中の2月12日(日)に開催される鞆八幡宮(沼名前神社境内社)の祭事で福山市の無形文化財でもある「お弓神事」の行列が、鞆港界隈の重文 太田家住宅から繰り出し、江戸時代から伝わる古式ゆかりの祭事と江戸時代の町並とのコラボレーションが楽しめることになっています。

今年も話題の多い、「鞆町並ひな祭」
ひな祭りで賑わう春の鞆にぜひおいで下さい。

鞆町並ひな祭のイメージビデオも出来ましたのでこちらもご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=MOvgJFIjv0I&feature=youtu.be

やめられないおいしさ♪ おからちゃん

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やめられない止まらない、、、と言えばかっぱえびせんですが、今日紹介するおこの「おからちゃん」もやめられない止まらないおいしさのお菓子です。

龍馬が「いまいぜよ!」と言ったかどうかは分かりませんが、とにかく食べ出すと止まらなくなるんです!

おからを原料にた素朴な味わいで、ついつい手が出てしまうおいしさです。

塩味の他にカレー味、マヨネーズ味もあります。


福山の棗田本舗が製造し、現在、鞆では龍馬のうまいぜよ!のラベルのものは鴎風亭といろは丸館で、龍馬ラベルのないものはカレー味、マヨネーズ味も含め鞆の浦観光情報センターで販売しています。

鞆にお越しの祭は一度買って食べてみて下さい♪

朝マズメ

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夜明け前は「朝マズメ」と呼ばれ、魚の活性が上がりルアーにヒットしやすい時間帯です。

北風吹く寒い冬ですが、ルアーマン達にとって朝マズメは寒さも忘れるくらい熱くなれる時間です。

これから春にかけては大型のスズキがルアーによくヒットする時期を迎えます。

永遠のライトグリーン

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今日、走島の連絡船である新たなカーフェリーの神勢丸が鞆の本瓦造船で進水式を迎えました。

私が物心が付いた時からのずっと同じライトグリーンの船体ももうすぐ見れなくなります。

カーフェリーが島に就航するのは喜ばしいことですが、このライトグリーンの船体が見れなくなると思うとちょっと寂しくも感じますね。
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