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Channel: 鞆の浦日記
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久しぶりのグリーンライン

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春分の日も過ぎて日の出の時間もどんどん早くなり、また太陽の角度もどんどん北へと移っているので、鞆では日の出が撮れる場所がどんどん限定されてくる季節となりました。
 
グリーンラインの日の出の定番といえば平の谷の橋の上からですが、角度的にはあまりよくないのでこの日は能登原トンネル寄りの西側から撮影してみました。
実はこの日は別の場所に行く予定でしたが、寝坊をしてしまい、、、仕方なくグリーンラインへ上がったのでした、、、
 
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ここからは鞆港はあまり見えませんが、中央部には平の町にある本瓦造船のクレーンが中心に来るので、まずまずの構図でした。
 
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で、だんだんと空が明るくなってきます。
もう5時半、、、、いよいよ日の出の時間です。
 
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ちょっと雲の関係で太陽がにじんだようになってイマイチ、、、
 
予想した本瓦のクレーンの真正面という構図も少しずれてました、、、、残念。
 
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太陽が完全に上がったところで撮影はおしまい。
車に乗ってもう少し山頂寄りの大多数の人が日の出の撮影に来る橋の上の定番スポットへ、、、、
 
今日はいそうな気がする、、、、
 
見事勘が的中! やはりいた!!そこには 「定番」が大好きなな男、、、兄 七島の姿が(笑)
 
 

扇浦の謎の石造物の正体は?

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窯跡のある扇浦の沖の瀬には知る人ぞ知るちょっと変わった謎の石造物があります。
 
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これです!!!
 
 
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かなりの巨石です。
この日はスケール持ち合わせていなかった為、正確な寸法は測れませんでしたが、全長約4m、一辺の太さが70~75センチ程度もあります。
 
いったい誰が?何の為に?
 
巨石の上には何か文字が書かれていたようです。
 
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が、、カキや海草が付着してよく見えません。
側面はさらに激しく付着していて全く見えない状態です。
 
この巨石を見て真っ先に連想したのがこれです!
 
 
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これは平漁港付近の暗礁に建つ珍しい法界燈です。
大きさなどもこれに非常に似ています。
 
ただ周辺には巨石を支える台座のようなものが見当たりません。
岩と岩との間に立てていたのか?
 
この巨石の存在を示す文献や文書を見たことがないので分かりません。
 
ひょっとしたらここにも海の暗礁を知らせる為の法界塔が建っていたのかもしれません。
今後機会があれば、文字と思われる部分の海草やカキを除去し、調査してみたいと思っています。
 
謎の巨石の正体やいかに!!
 
調査が進み次第、追って報告します。
 
 
 
 
 

蘇った風景

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鞆港沿いに住む親戚のおばさんが「ついに家から燈籠堂が見えるようになったんよ」って喜んでいました。

親戚の家の前は先月まで水産会社が不法占拠していて、海には巨大な製氷機を積んだ台船、岸にはおびただしい数のイケスや発砲スチロールのトロ箱、使われなくなったガラクタなどがたくさんありました。

しかし4月より就航するフェリー桟橋の周辺整備に対して港湾管理者である広島県が本腰を上げた為、この場所を不法占拠し続けていた水産会社も遂に移動を余儀なくされました。

以前は玄関の外はごちゃごちゃした見苦しい風景でしたが、港を一望出来る心地よい風景となって親戚のおばさんもニンマリです。

良かったね、おばちゃん!

古寺めぐりで花めぐり 日蓮宗妙蓮寺

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桜もすっかり散ってしまった鞆ですが、花の季節はまだまだ続きます。
その代表格が様々な花が咲き誇る日蓮宗妙蓮寺です。
 
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山門を潜ると木蓮の大きな花に真っ先に目が行きます。
 
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優雅な木蓮の花は妙蓮寺の壮麗な社殿に負けず劣らずの美しさです。
 
木蓮の木の奥にはかわいい白い花が群生しています。
 
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これは花韮(ハナニラ)です。
花が散った後はレバニラになるのかな?、、、
 
山門を潜って左の隅の鐘楼の前にはこの花
 
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鮮やかな紅色の木瓜(ボケ)の花が咲いています。
 
本堂の正面向かって右には小さな小さな白い花の雪柳があります。
 
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図鑑で調べるまで全く知らなかった花です(苦笑)
しかしきれいですね☆
 
木蓮の側には、、、この花は何でしょうか?
 
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花を全く知らない私にはさくらんぼのようにも見えてしまいます(笑)
 
この他にも妙蓮寺の境内にはたくさんの花が咲いています。
まだまだ花で春を楽しめるのがここ妙蓮寺です。
 
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氏神様を大切に

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先週の土曜日に我が西町の町内会の総会がありました。
その時に我が西町の氏神様である港の胡神社に対する意見がでました。
 
その意見とは、、、、
 
胡さんの前に平気で車を止めて入り口を塞ぐ者が多い
 
そしてなんと!!!
最近、賽銭泥棒が出るようになった! ということです。
実は最近、多くの観光客が訪れるようになり、それに伴い観光の散策ルート上にあるこの胡社に多くの賽銭が落とされるようになりました。
こそ泥はこれに気付いて出来心を働かせたみたいです。
その為、総会の翌日の日曜日に胡さんを守るべく対策を講じました。
 
先ずはこれ!
 
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私お得意の建設廃材を使っての立て札の製作です。
風で倒れない為に重量のある木を使っています。
 
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時間がなかったので簡素な作りですが、効果は抜群です!
この看板を置いたらさすがに日本人は置けないものですね。
 
そして賽銭泥棒撃退の為のミッションも、、、
 
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、、、と言っても鍵を付けただけです。
実は長年、この胡社の賽銭箱には鍵がなかったのです。
 
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また賽銭箱は固定もされていなかったので金具で固定もしました。
 
作業を終え、気をよくしていたのもつかの間、、、、新たな問題を発見!!!
 
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千社札です。
 
この千社札の右端を注視してみて下さい。
 
なんと強力な接着剤で付けているんです!!!
 
この大バカ野郎!!
 
長年の年月で社の木は水分が抜けて弱くなっています。
千社札を無理に剥がすと、接着材の強度で社の木が破損してしまうのです。
 
はっきり言ってこの千社札を貼る輩には頭にきます。
住所を調べて摘発したい気分です。
こんなことをする輩はそもそも神社にお参りする資格はありません!!
 
できれば全国の神社で千社札禁止令を出してもらいたいものです。
 
みんなで氏神様を大切にしましょう。
 
 

写真を活かしたまちづくり

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Facebookをご覧の方はもうご存知だと思いますが、来年からの安国寺の夜桜のライトアップのPRにこのポスターの図案を使うことがほぼ決まりました。


今年、安国寺の住職といろいろ話をさせて戴いた際に、もっと夜桜をPRしたいと言っておられました。
「でも宣伝が下手なもので、、、」とも。

現在、安国寺独自で夜桜のPR用の小さなポスター(A3版)を鞆の各所に掲示していますが、残念ながらこのポスターにはライトアップされた実際の風景は映っていません。


あの素晴らしい風景は本当に見た者でないと表現できない素晴らしさです。

ならば実際のライトアップの写真を掲載たポスターを作ってしまえと、ポスター用に写真を撮ってとりあえず試作してみました。
その試作品をFacebookを介していろんな方に見て戴き、改善点の案を戴き出来たのがこのポスター図案です。

で、、先日、安国寺の住職に見てもらったところ 住職は大喜び(^0^/
とりあえず来春はこれでPRすることになっちゃいました♪

せっかく素晴らしい企画をされていても、それを第三者に知らせる術やきかっけ作りは企画と同じくらい大切です。

今、広島県が「おしい広島」というキャッチフレーズで観光PRをしていますが、これほど「おしい」風景はないと思っています。それほどにこの安国寺のライトアップは素晴らしい。

この素晴らしい風景を一人でも多くの方々に見てもらうこと、知ってもらうことは、鞆の良さを理解して戴く上で本当に大切なことだと思っています。

そのうち福山市民の誰に聞いても「夜桜といえば安国寺」というくらになればいいですね♪

(仮称)まちづくりセンターは何の施設になるのか?

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私の実家の斜め向かいで工事が始まりました。

市が町並み保存の拠点施設として整備予定の(仮称)まちづくりセンターという施設です。

しかし工事と言っても倒壊を防ぐ為の応急措置の工事です。
工期は7月いっぱいとのことですが、その後の計画、どういう施設になるのかを市の施設の担当者に聞いても「まだ分からない」「決まってない」という意味不明な言葉しか帰って来ません。

予算を計上し、用地、建物を買収して仮の応急工事まで入りながら、まだどういう施設として使うのか分からないという市関係者の言葉はあまりにも不可解です。

しかもこの建物、4年も前から予算を計上しながら執行せず、その結果、建物の一部は倒壊してしまいました。
3年以上予算執行せず放置した結果は梁は抜け奥の方は完全に倒壊となってしまったのです。
本当に馬鹿げた話です。
この余計な費用はだれが負担するのか?、、、もちろん我々福山市民なのです。


話は戻りますが、町並み保存拠点施設 (仮称)まちづくりセンターをいう名称及び概要を考えて予算を執行しているということは、施設の計画は完全に決まっているといみて当然の話です。
計画が決まっていないのに税金を投入するなどありえないからです。

ではなぜ市民に言えないのか?
こういう不可解な公共事業って、、皆さんどう思われますか?

「講」に見るコミュニティーの力

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みんさんは「講」という制度をご存知でしょうか?
講は昭和30年頃まではごく一般的であった地域の互助システムです。

講はご近所や顔見知りの有志などが組合を作り、基金を積み立て、組合員の中に急に資金が必要な場合に低利で融資を行う互助制度です。

写真は西町の旧家に残る明治末期から大正初期の講の帳簿、規約書です。
「祭講」とありますが祭事に使う為の積立金ではなく、神に誓うという意味合いの枕詞で「祭」という言葉を使っているようです。

組合員は輪番制で組合員から毎日積立金を集金し、集めた金を銀行に貯金をしているのが銀行の通帳から見て取れます。
現代ではお金を借りると言えば銀行ですが、当時はまだまだ銀行から融資を受けるのは一般庶民にはハードルが高かったことが伺えます。

このような地域の互助制度は当然ながら地域の結束の元ともなります。
この講の帳簿を通して、先人達が地域ぐるみで深く繋がっていたことがとてもよく分かります。

現代社会にこの講を復活させるのは難しいかもしれませんが、金銭以外での「講」と同じような地域の互助制度作れないか?
これらの史料は未来のまちづくりの新たなシステムを考える上で大変貴重なヒントになるように思います。

静観寺 本尊 松上げ地蔵

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大きな桜も散ってしまった臨在宗静観寺の本尊は松上げ地蔵という地蔵尊です。

松上げ地蔵という名の由縁は、度重なる火災に遭っている静観寺に江戸時代中期、再び火災が発生。
あまりの火の回りの速さに住職はご本尊を持ち出すことも出来ず途方にくれていたら、なんと境内の松の大木の上に乗っていて難を逃れたという伝承です。
その後、様々な願い事を叶えてくれる地蔵尊として多くの人々の信仰を集めたという言い伝えです。


地蔵尊の正確な製作年代は不詳ですが、近世以降に新たに顔料で補修された後がはっきりと分かります。
しかし補修されていない箇所の顔料の色を見ると江戸時代前期から中期頃のものではないかと思われます。

地蔵尊の前には武将山中鹿介の首塚の位牌もあります。

静観寺ではご希望の方には松上げ地蔵に願掛けも出来るそうなので、ご希望の方はお寺を訪ねてみて下さい。

鏡の中の風景

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安国寺の表参道をお寺の方へ向かって進むと南北に延びるかつての鞆街道のメインストリートと交わります。

1枚目の写真の向かって左の風景は鞆町原の町並み、2枚目の写真の向かって右の風景はかつては後地村の村内と呼ばれていた御幸町の町並みが広がります。

この界隈はあまり古い町並みとしての評価はされていませんが、明治、大正、昭和初期頃の建物が意外と多く残っていて、とても落ち着きのある町並みが続きます。

白鷺の楽園

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鞆の西の端、皿山の扇浦には多くの白鷺が集まってきます。

ここは干潮時に広大な干潟が広がる為、白鷺達の格好の餌場になるからです。
昔は多くあった干潟も最近はめっきり減ってしまいましたが、ここには自然の干潟が今も残っています。

干潟は白鷺のように地を這って餌を啄ばむ鳥達にはまさに楽園なのかもしれませんね。

潮待ち茶屋 生まれ変わる

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5月1日  潮待ち茶屋が新たに生まれ変わります。

今回は鴎風亭や景勝館、遠音近音などのホテルグループの鞆スコレ・コーポレーションの経営となります。


オープンを3日前に控え、今日は鞆スコレの村上社長をはじめ潮待ち茶屋の店長となる落岩くんら大勢のスタッフで最終的な飾りつけが行われていました。

新しく生まれ変わった潮待ち茶屋の最大の魅力は今まで公開していなかった「2階」です。

屋根裏を拝むことができる2階は、古いものだけが持つ独特の魅力と、時代を超越した美しさがあります。


新たな潮待ち茶屋の誕生まで、いよいよカウントダウンです。

平の港の朝

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5月もまじかになって朝もすっかり温かくなってきましたね。

朝、日の出前の平の波止を歩くととても心地よい潮風を浴びるとこができます。

日の出前には春ののっこみチヌを狙う太公望達がたくさんこの波止にやってきます。
連休に入り造船所も一休みでしょうか。


ゆっくり散歩をすると本当に気持ちいい平の波止の朝の風景です。

渡守坂

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昭和40年代後半頃の西町と関町の堺の渡守坂(ともざか)の写真です。
渡守坂(ともざか)という呼び名はかつてこの界隈に鞆の氏神である渡守社があった為です。

この写真は現在は廃刊となってしまった近畿日本ツーリストの日本観光文化研究所が発行していた「あるく みる きく」という雑誌に掲載されていた1コマの写真です。

この時代、三好電器の隣、現在の市営の駐車場の場所にはかつて鞆製網が使用していた古い建物がしっかりと残っています。
この建物が建つ場所はかつては豪商大坂屋の一族の土地だったので、その時代の建物だったかもしれません。
なくなってしまったのは本当に残念な限りです。

その奥には在日朝鮮人の方が営んでいた「焼肉専門」の看板も見えます。

こうして見ると40年近くの間に大きく姿を変わってしまったことが良く分かります。

新たな鞆の顔を創る

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5月26日の鞆の津ミュージアムのオープンに併せて隣接する土蔵を改造して喫茶店が併設されます。

美術館に引き続き、この喫茶店の工事にも携わらせて戴くこととなりました。

今回は1ヶ月弱というとても短い期間での改修工事となります。
そういう意味では前回の美術館以上に難工事となりそうです。

明治期の土蔵を改装したこの喫茶店が新たな鞆の顔になればいいですね。

玉津島へ

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先日の日曜日は平の波止から玉津島へ
 
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背景の美しさは別として個人的に私はこの玉津島からの日の出が一番好きです。
それは、最果ての海のど真ん中から日の出を拝んでいるような感覚になるからです。
 
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玉津島から拝む弁天島はこんな角度で見えます。
 
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玉津島の外海に面する南側は長年の波浪によって島が大きくえぐられ、断崖となっています。
断崖から下を覗くとちょっと足元がすくんでしまいます、、、、がとてもきれいです。
 
玉津島より先の部分の波止は江戸時代後期の造営です。
150年以上現役でがんばっています。
 
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日の出の時間が近づくにつれて玉津島神社の鳥居の向こうが段々と暁色に変わっていきます。
 
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正面に仙酔島の大弥山を拝むこの風景は本当に何度見ても最高です。
 
そしていよいよ日の出
 
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ここから見る鞆の海は限りなく広く見えます。
 
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誰もいない玉津島から日の出を独り占めした瞬間です。
 
最高!!(^0^/
 
 

浜辺の少女

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今日は午後から晴れてちょっと暑いくらいでしたね。
鞆港の西側、焚場町界隈を歩いていたら小学生の高学年くらいでしょうか、浜辺で少女がなにやらやっていました。
 
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棒を持って、、、、
 
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何かをかき集めています、、、
 
おっ!
 
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いっぱい採れましたが、、、少女はきっと「ワカメがいっぱい捕れた☆」と思っているんでしょうね。
でも残念、この海草はワカメではなくアオサです。
 
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なんとも鞆らしい焚場の浜からの風景です。
 
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阿藻珍の東屋へ

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昨日は平の阿藻珍味本社である鯛匠の郷の一番丘の上にある東屋へ行ってきました。
 
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ここに来るのは約1年ぶりでしょうか。
この場所はほとんど知られていなく、鯛匠の郷を訪れたお客でさえほとんど足を運ばない隠れたスポットです。
 
ここから見る鞆港は本当にこの港が円形港湾であるということがとてもよく分かります。
 
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江之浦の浜もいつもとはちょっと違うアングルから拝めます。
 
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知られざるマル秘絶景スポット、それがこの鯛匠の郷の一番上にある東屋からの風景です。
 
 
 
 
 
 
 

地域を支えるお店 沖辰商店

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今日は私の大好きな鞆のお店の紹介です。

鞆の西部、江之浦元町の浜沿いにある沖辰商店はこの地区にはなくてはならない存在のお店です。

というのも沖辰商店のある江之浦元町より西の焚場、平地区には食料品店はありません、でも沖辰商店に行けば野菜以外にも様々な商品が売られているので、車が乗れないこの地区や平地区のおじいちゃんおばあちゃん達にとっては乳母車で買いに行くことが出来る唯一の食料品店なのです。

沖辰商店は地域の生活を支えている大切な存在なのです。

店主のおじさんに一言お願いをして店内を撮らせてもらいました。

元々八百屋だけあって野菜は豊富です。
しかも一人住まいや老夫婦二人住まいの多い鞆の実情に合わせて野菜もカットして売られています。

地域の人々の生活を支え続けている沖辰商店。
こういうお店って本当に大切にしたいですね。

扇浦の謎の巨石の正体を探れ

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4月18日掲載の「扇浦の謎の石造物の正体は?」の続編です。
その後の調査等では、平地区出身の郷土史家 表精氏の書籍に扇浦の暗礁にも法界塔が建てられたとありました。
また平の法界塔を建立した法宣寺檀家の末裔の方からも間違いなくここにも先祖が法界塔を建立したという話を聞きました。
 
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この連休は春では最大クラスの大潮で、このチャンスにと詳細な調査に入りました。
先ずは巨石の寸法確認です。
 
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測定の結果幅60センチ、長さはなんと4m90センチもありました。
 
続いて巨石に書かれている文字の調査です。
長年海水に浸かっていた為に表面はカキや海草などの多くの付着があって文字が全く見えない状態です。
 
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その為、鍬とワイヤーブラシで慎重に慎重に表面をクリーニングしていきます。
 
しかし、、、、しんどい(汗) 付着物の量は半端ではありません!
 
この御手伝いしてくれた私の相棒F君と1時間半の格闘の末、ようやく上面の文字が浮き彫りに!!!
 
これです!!
 
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下の「三千萬編」ははっきりと読み取れますが、上の方がはっきりしません。
この日はこの直後に扇浦の砂州が満ち潮で沈み始めたので、調査は一旦終了、、、、
 
明日の干潮時に、再び本格的な調査へとなりました。
 
果たしてこの巨石の正体はいかに!!?
 
 
 
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