これは今から約80年前の昭和9年に鞆の浦保勝会が発行した鞆の観光案内の冊子「国立公園 鞆の浦案内記」の中にある広告です。
広告はあの仁丹ですが、よく見ると広告の中にしっかりと「鞆」って入れてくれるんですよね。
あまりの嬉しさに鞆のハヤシライスのお店「田渕屋」にポスターにして貼ってもらっています。
仁丹と言えば創業者の森下博は鞆出身の名誉町民であり、また仁丹で得た莫大な富を地元に還元する社会活動を長年続けてきました。
鞆の観光の基礎は仁丹の森下博が作ったと言っても過言ではありません。
【山中鹿介首塚の玉垣建立をはじめ寺社の修築などに森下博は多くの寄付を行っている】
そういう意味では森下博と仁丹は鞆の大恩人です。
鞆と仁丹は切っても切れない関係なのです。
私は前々から鞆を「仁丹の町 鞆」にしたいと思い続けています。
仁丹のマークの入った町の案内看板を各所に設けてレトロな町の雰囲気にしたり、、、仁丹と保命酒のコラボで新たな商品を開発したり(保命酒のエキスを固めて銀色の仁丹のコーティングを施した保命酒仁丹など、、)、、、森下博の銅像がある沼名前神社の近くに仁丹にちなんだ森下神社を建立して「健康・毒消しの神様」で全国に売り出して新たな観光名所にしたり、、、
仁丹と森下博と鞆をコラボレーションさせれば様々なアイデアが次々と浮かんできます。
【今も全国各地に残る仁丹のマークの入った町の案内看板】
仁丹の生みの親である森下博のふるさとである鞆にしか出来ない町とのコラボレーション、、、鞆が生んだ偉人の力を借りてぜひ鞆の町を活性化させたいと思い続けています。