御弓神事の翌日の2月11日は私にとってとても大切な一日でした。
この日は朝9時より盈進学園ヒューマンライツ部の部員の中高生のみなさんと先生方の計17名が、市の重文で、鞆・町並ひな祭のメイン会場でもある鞆の津の商家の清掃ボランティア活動に来てくれました。
鞆・町並ひな祭の実行委員も高齢者が多く、ここメイン会場になる鞆の津の商家も資料館友の会が中心となって一般公開はしていますが、掃除もままならない状況です。
そこで3年前に盈進学園のヒューマンライツ部にお願いをして清掃ボランティア活動が始まった次第です。
この日も生徒さんと先生方が心を込めてきれいにしてくました。
特に表側の県道側の格子や窓ガラスが車通りが多い為に1年で真っ黒になります。
格子戸の隙間は特に清掃に時間のかかる作業です。
でも一生懸命にがんばってくれました。
内庭の清掃では落ち葉の片付けと庇の樋に詰まった枯葉を取っての清掃です。
そして以前私が建築財のサンプル品を利用して作った看板のお色直しも、、、
表側は西日が強く照り付ける為に、看板の文字も色褪せていましたが、きれいになりました。
盈進学園のみなさんの努力でピッカピッカになった商家
これでひな祭りの準備もバッチリです。
今年で3回目となるこの清掃ボランティア活動は、3年前にヒューマンライツ部のみなさんが学園祭の時に鞆の架橋問題を取り上げて研究発表をしていて、そこに私が訪れたことがきっかけでした。
部のみなさんが研究発表していた中に、毎日新聞の全国版にも紹介された私の取り組み「観光客の車輌の為の交通誘導の看板設置」の記事がありました。
「(個人でもいいから)出来ることから始めよう」 「(架橋計画の賛否は抜きに)お互い共通の為になる接点を育む」との趣旨で始めた取り組みでした。
部のみなさんも架橋の賛否を掘り下げても結論が出ないことを理解されたようで、その後、人伝えに私の所に盈進学園の先生から連絡が入り、盈進学園のみなさんとのお付き合いが始まった次第です。
研究の上でヒューマンライツ部のみんさんが出した答えは、「架橋の賛否を越鞆の為に何か行動したい」という熱い想いでした。
そこで私が提案させてもらったのが、鞆・町並ひな祭のメイン会場でもある市の重文 鞆の津の商家の清掃ボランティア活動でした。
当時の鞆の津の商家は清掃が全く間に合っていなく、格子戸の周りなどは真っ黒なホコリが積もっているような有様でした。
この商家を選んだ理由は、生徒さん達の鞆に対する熱い想いを行動にというのはもちろん、生徒さん達に鞆への愛着を深めてもらうことと同時に、文化財に直に触れてもらって地域遺産の大切さを理解してもらおうという趣旨でした。
この提案に鞆の歴史民俗資料館の通堂館長や鞆の歴史民俗資料館友の会会長兼ひな祭りの実行委員長だった井上会長、そして鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会の橋本会長らが賛同してくれて、市の文化課に許可を得て行うことが出来るようになりました。
本当に様々な方々の協力があって初めて出来た活動です。
今後もこの活動は「盈進の生徒さん達の熱い想いを行動に」の原点として、ぜひ継続させたいと思っております。
この日は盈進学園のみなさんの活動の後にもう一つの小さくも大きなプチイベントを行いました。
鞆・町並ひな祭のイメージソングを唄ってくれた「Naoko」さんこと川上菜穂子さんの「鞆の浦ひな祭り」のお披露目プチライブでした。
昨年、「ささやき橋の伝説」でプロ歌手として活動を始めたNaokoさんでしたが、私は全く知らない存在でした。
そのNaokoさんのかつてのバンド仲間であり、私の郷土史研究の大先生でもある山郷消防団団長の天野さんがNaokoさんを紹介して下さり、お付き合いが始まりました。
そしてひな祭りのイメージソングを作って戴く事を快く引き受けてもらうことが出来た次第です。
この日は盈進学園のみなさんへのお礼も兼ねてのマスコミ初公開のプチライブでした。
土壁造りの商家にはアンプ無しの生の声での歌が本当に心地よく響きます。
透き通った声のNaokoさんの歌に盈進学園のみなさんも聴き入っていました。
Naokoさんのこの日の模様はこちらにアップしています。
スマホでの録画ですので低画質なのはお許し下さい。
盈進学園のみなさんも、Naokoさんも元々鞆に地縁がある訳ではありません。
しかし盈進学園のみなさんもNaokoさんも、鞆への熱い想いは我々と同じです。
いや、それ以上かもしれません。
この温かい心を大切にし、そして育むことがなによりも大切だと思っています。
鞆にはこの町を愛してくれるサポーターがたくさんいる。
そういう町で生まれ育ったことが本当に誇りに思える一日でした。