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Channel: 鞆の浦日記
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西町のチョウサイ

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現在、鞆の浦歴史民俗資料館に常設展示されている我が西町のチョウサイ。
 
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今年は我が西町が渡守神社の例祭の当番町になる為、秋には7年振りにこのチョウサイの出番が訪れます。
 
その西町の秋祭りに併せて七ヶ町すべてのチョウサイの写真を一堂に展示し、そして昔の秋祭りの風景写真(一部は初公開の未公開写真)と併せて展示する計画を立てています。
 
その為、普段は写真撮影禁止の資料館で、あらためて許可を得て西町のチョウサイの写真を撮りました。
 
西町のチョウサイと言えば、、、知ってる人は誰もが口にするのがこれ!!
 
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柱に刻まれた豪快な昇り龍の彫刻です。
いつ見ても惚れ惚れする秀作です。
 
秋祭りの際の展示では、チョウサイの屋根の上に書かれた、明治14年に作られた当時の墨書の調査も併せて皆さんに見て戴けたらと思っています。
 
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歴史の研究って難しい、、、堅いって思っている方々に、鞆の歴史の奥深さをあらためて知って戴いて、歴史の研究の面白さを知ってもらえたらと思っています。

春のチヌ釣り

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今日は久しぶりの土曜休みだったのでフカセでチヌ釣りに行きました。
場所はここ。

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鞆の方なら角度で分かるかな?(笑)

今日は小潮なのでなかなか釣れませんでしたが、開始1時間半くらいでなんとか一匹ゲット!

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41センチでした。

その後は釣れず、結局一匹だけでした。

チヌは活かしたまま持ち帰り、さっそく料理にしました。

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やはり春チヌなんで身はブヨブヨ、、
(苦笑)

タタキにしていただきました!

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早朝のキス釣り

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もう休日の日曜日は、秋祭りの準備になるのでほとんど時間が取れない時期になってきました。
で、とりあえず早朝は釣り(笑)

朝4時過ぎに小室浜へ。

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きれいな夜明けです。
今朝は朝の8時頃が満潮なので、上げ潮に期待してのキス釣りです。

得意の超近投釣りで攻めますが、ピンギスと小型のメゴチばかり、、ちょい遠投で攻めますが、まだ沖には藻がたくさんあり、難しい状況。
でも釣果は確実に。
ちょい遠投で攻めると良型のキスです。

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で、なかにはこんな珍客も
(;^_^A

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長年やってますが、キスの引き釣りでメバルが釣れたのは初めてでした(笑)

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ピンギスや小型のメゴチ20匹くらいはリリースして、今晩のおかず20匹くらいゲット。

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心地よい朝のひと時を楽しみました。

絵で見る幻の要害燈籠

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先日紹介した守住貫魚という絵師が天保9年(1838年)に描いた「全国名勝絵巻」のうち「備後国鞆湊四方之図」に面白いものが描かれていました。
 
 
これです。
 
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もっと拡大してみます。
 
 
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下部が下見板になった、櫓のように見えます。
 
この櫓はおそらく江戸期にあった要害燈籠ではないかと思われます。
 
実はこの要害燈籠に関する資料はほとんどなく、 謎に包まれた存在でした。
 
この要害燈籠の数少ない資料として明治4年に鞆の港湾施設の燈籠などの状態を調べ報告した文書があるのですが、、活字にまとめたものは現存するのですが、現在、原本がどこにあるのかが、、不明なんです(泣)
 
その明治4年の文書によると、、、
 
 「要害燈籠寸 高サ 二間半尺(4.55m) 火袋 三尺五分(94.08cm)四方」
 
 
「燈明台御吟ミ御報告有之候ニ付鞆津端並中村吉兵衛様 要害とも修復並油燈しん永年相続方且燈明台高サ何間 火袋寸尺等詳細に相求め来る十五日切差出可申事。
但シ要害の分は官費に候ても高サ火袋尺寸為被吟一諸ニ差出候事 但シ 門田様より吉助持参候ニ付写候」
 
との記録が残されています。
 
おそらくこんな感じの燈籠櫓が建っていたのではないでしょうか?
 
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これは牛窓にある昭和62年に復元された燈籠堂です。
 先に紹介した絵と非常に良く似ています。
 
「備後国鞆湊四方之図」は実際の鞆の風景をかなり克明に描いていたようです。
そういう意味ではこの要害燈籠と思われる建物も実際を克明に記録したもである可能性は十分あります。
 
この絵をつぶさに観察すると、面白い過去の鞆の姿がたくさん出てきます。
 
他にも面白いネタがありますので、またの機会に紹介させていただきますね。
 

彦浦を望む

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仙酔島、烏の口岬の展望台からは眼下に彦浦が広がります。
 
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干潮時、下加美島との間の砂洲を歩く観光客。
浜をゆっくりと歩く人の姿。
 
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波と、遠くに響く船の進む音、そして森の間から聞こえる鳥の鳴き声が心地よい
烏の口岬でした。
 
 

星の浦からの日の出

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最近は太陽もどんどん北へと傾き、日の出もどんどん撮り辛くなってきましたね。
おまけにどんどん朝も早くなるし、、、(泣)
 
今夜紹介するのは連休に撮って紹介できなかった平の淀姫神社から平漁港までの間の星の浦からの日の出です。
 
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左に見えるのが淀姫神社のある明神山です。
右には沖の一文字。
ここから見る一文字はすごく近くに見えます。
あまり見ることのない場所からの夜明けかもしれませんね。
 
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もう少し西側、平漁港寄りから撮るとこんな感じです。
 
さらに西に寄ると、、、
 
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本瓦造船の台船やタグボードがあります。
 
今夜はちょっとレア?な星の浦からの日の出を紹介させていただきました。
 
 

鞆のシンボルを登録文化財に!

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ちっと前から鞆の浦民俗資料館の企画部の北村部長からある極秘??プロジェクト推進の為に様々な相談を受けていました、、、
 
それは、、、、
 
 
 
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鞆のシンボル、弁天島を丸ごと史跡登録することです!!!
 
、、、ゲロッたので極秘になってないですね(笑)
 
でもこの話、まんざら不可能な話でもないと思います。
 
弁天島には登録の有無も含めて様々な文化財が現存し、なおかつ九層石塔婆のような県の重要文化財の建立にまつわる物語が、江戸期の鞆奉行であった荻野重富の史記「鞆記」などにも記載されるなど、非常に歴史にまつわる内容の濃い島でもあります。
 
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ちなみに現在の弁財天の祠堂は昭和4年に建立されていますが、文化財の規定では50年以上経ったものとなっており、祠堂でさえも既に文化財としての登録の用件も満たしています。
 
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また弁才天の祭事では今も寺と神社が一つの祭事に絡むという江戸時代は一般的であった神仏習合の習慣も残っています。
 
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形があるものから形のないものまで、鞆の歴史の宝庫でもある弁天島。
この島が今まで登録文化財になっていないことの方が不思議かもしれません。
 
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有形文化財と共に、伝説そのものも文化財に出来る可能性も視野に入れてはと私も思っています。
 
もし署名を集めれば容易に10万、20万と集まるかもしれません。
その署名を元に市の文化課や、文化庁などにも協力を依頼し、さらなる弁天島に関する歴史を研究すれば、新たな歴史の謎が発見できるかもしれません。
 
港の港湾施設も含めて、鞆の文化財登録をあらためて考える必要があると私は思っています。
 
弁天島にさらなる輝きを!
 
 
 
 
 

朝の祈り

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焚場町、日の出明神の朝。


一人、拝殿に上がり神に祈りをささげる氏子の姿がありました。


今日一日が幸せでありますように。

更なる鞆の魅力の発信に向けて

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鞆の浦歴史民俗資料館の今秋の特別展は、ご存知 鞆の大恩人 森下博展となっていますが、早くも来年度の秋の特別展の企画を決める企画部会の会合が本日ありました。

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で、満場一致でこれに決まりました!!!
 

 
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ん?、、、

それは昭和4年に建て替えられたある建物の内部の秘仏を中心とした企画です。

そして本邦初公開の秘仏の展示も企画します!
既に、本日関係者にもその意向をお伝えし、了承も得ました。

身近にありながら、意外と知られていない鞆の隠れた魅力を、必ずやお伝え出来る内容です!

さてこの御札の建物とは???、、、(笑)

乞うご期待を!

隠れた鞆の魅力を蔵出し!・・・資料館蔵出し企画!

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日曜日の鞆の浦歴史民俗資料館での企画部会の会合では、今後に向けての意見交換もありました。
 
その中で「やってみよう!」との意見でまとまったのが「蔵出し企画」です。
 
鞆の浦歴史民俗資料館には常設していない史料を保管する大きな収蔵庫があり、実際に表に展示しているのはごくわずかです。
その為、陳列できずにある収蔵品も多くあります。
 
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そうしたものを年に2回程度、常設展の時に公開しようというのが蔵出し企画です。
 
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常設展ではいつも見ているものが大半を占めてしまうので、どうしても一度でも訪れた方は足が遠くなりがちです。
そうした方々にも毎回楽しんで戴けるよう資料館としても尽力していきます。
 
蔵出し企画には収蔵品の基礎調査や目録作成などでいつも尽力されている古文書部会の株本会長らが中心になって行う予定です。
私も微力ながら資料館の企画部員としてお手伝い出来ればと思っております。
 
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鞆町で唯一の公式な情報発信の施設でもある鞆の浦歴史民俗資料館。
その資料館が今まで果たしてきた役割は言葉ではとても語れないほど大きなものです。
これからも鞆の情報発信の場所として資料館は活動を続けます。
 
乞うご期待を!
 
 
 

商工ふくやま5月号

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福山商工会議所の会議所所報の「商工ふくやま」の5月号の表紙に私の写真が採用されました。
 
 
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昨年の弁天島花火大会に引き続き2年連続となります。
 
 
この作品は昨年末に受賞者の発表があった福山市観光コンベンション協会主催の写真コンテストに出品した作品です。
 
 
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 「勇壮・鯛網船団」のタイトルで出展したこの作品には私の二つの思いを乗せたものでもありました。
 
一つは、観覧者が減り岐路に立たされている観光鯛網に、もっと頑張ってもらいたいとの思いです。
 
そしてもう一つは、大正末期に森下仁丹の創業者である森下博氏の資金援助によって、この観光鯛網の歴史が始まったということを知ってもらう為でした。
商工ふくやまにの写真が掲載されている裏には、作品のタイトル、私の名前と共に、森下博氏が観光鯛網に深く関わった事実を紹介して戴いています。
 
そういう小さな努力が実ってか?
今年の5月3日の観光鯛網の初日には森下仁丹の関係者の方が主催者のコンベンション協会より初めて観光鯛網に招待されました。
 
鞆の浦歴史民俗資料館の秋の特別展には、鞆の観光振興などで絶大な支援を惜しみなくし続けた森下仁丹の創業者である森下博展が開催されます。
 
観光鯛網の写真を通じて、かつての森下博氏が果たした功績を紹介できたことに、この写真を出展して(コンテストへの出展はこの1点のみ)本当に良かったと感じております。

鞆港のヘドロ

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干満の差に激しい瀬戸内海ならではの風景を楽しめる鞆ですが、干潮時には、、、
あまり見えて欲しくないものが姿を出します。
 
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ここは鞆港の再奥部となる重文 太田家住宅朝宗亭のすぐ下ですが、そこにはたくんのヘドロが堆積しています。

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もちろんここを歩くと、、、足が抜けなくなります、、(汗)
かき回すと真っ黒く水が濁り、悪臭も放ちます。

カキ殻などでのヘドロの分解も実証されていますが、実は港湾内を浄化する為にカキ殻ダンゴを撒くにも漁業権の問題などが絡むそうです。
港湾を使用する漁師に迷惑がかかるから漁業保障の対象となるという、訳の分からない法律が存在しているそうです。

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海がきれいになって一番喜ぶのは漁師のはずなんですが、第三者がその行動をする為には、漁師さん(漁協)の許可を取って、お金(保証金)を払う必要があるなんて、、、

よく分からないですね、、、(泣)




油まみれの鞆港

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今日、鞆港沿いを散歩していると、道越界隈の海面が大変な状態になっていました。

これです。

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油です。

辺り一面、海が油の膜で覆われています。
船から捨てられた廃油か、重油です。

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中には真っ黒な厚い膜を作った重油の塊のようなものも流れていました。

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油の膜の出処と思われる場所には、たくさんの走島の漁船が泊まっていました。

海に関わる人が自らの手で海を汚す。
本当に悲しくなります。

残念ですが、子供の頃から何十回、何百回と見せられた悲惨な光景です。

秋祭りの準備

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まだ5月ですが、人出の少ない我が西町はもう秋祭りの準備に入っています。
世話方の私の役割もいろいろとありますが、大あんどんに絵を描く役目も回ってきましたσ(^_^;)

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本ちゃんは私の兄が描いて、私が担当するのは、つくりものの背後に飾りとして置く予定のサブです。

ただでっかいので、描くのも大変ですね。
7月に入ると夏祭りで日曜日は潰れてしまうので、今が一番大切な時期です。

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今回の秋祭りでは、あんどんの絵を描く場所として、鞆まちづくり工房に土蔵を無償でお借りしています。
この場をお借りしてお礼を申し上げます。

太郎次郎の町

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歴史の古い鞆ですが、旧七ヶ町である「江之浦、西、道越、関、石井、鍛冶、原」の中で最も古い時代の古文書に登場する町はどこだと思いますか?
 
 
答えは室町時代の文安二年(1445年)にさかのぼります。
その史料は「兵庫北関入船納帳」という古文書に登場します。
関所を通行する船に対し積荷に応じて支払った通行税を記した帳簿です。
 
その帳簿を活字にした一覧にこんな名前が出てきます。
 
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鞆船籍の船の船頭の名前が太郎次郎となっていますが、その名前の前に「石井」と記載されています。
 
これは太郎次郎が鞆の石井出身ということを指しています。
 
この石井太郎次郎の船はたびたび兵庫北関に出入りしており、当時の鞆でも海運業がしっかりと営まれており、大きな船持ちもいたことを示す貴重な史料でもあります。
 
 
 
中世の石井町は埋立地である今の石井浜町ではなく、今の石井町の通りより北側の土地であったと思われます。
 
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関が原の合戦後、安芸備後を所領とした福島正則の時代に大きく町割りを変更し、現在の旧鞆町が形成されました。
 
大きな船を持ち、瀬戸内海を行き来した石井太郎次郎も、ひょっとしたらこのような大きな町家の居を構えていたのかもしれませんね。
 
 
 なお石井太郎次郎、ならびに史料「兵庫北関入船納帳」という古文書に興味のある方は、こちらを覗いてみてください。
 
 

一寸先は、、、?

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ちょっとご無沙汰していました(泣)
 
今月の正法寺のご住職からのありがたいお言葉はこれです!
 
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さすがは臨済宗妙心寺派の総長のお言葉!
普通、「一寸先は 闇」なのですが、、、
 
人間、考え方次第ですよね!
 
一寸先を闇と思うのか?、、、それとも光と思うのか?
 
それはその人の心の持ち方ひとつですね。
 
 
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正法寺の境内で、和やかなお地蔵様の顔を見ていると、「闇」という言葉よりも
「光」という言葉が自然と出てきますね。
 
 
 

今年の花火大会

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いよいよこの週末は弁天島の花火大会ですね。
 
一昨年は仙酔島の大弥山からの眺めを宣伝したく、山頂まで行っての撮影でした。
 
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ここからの花火の風景には多くの方々から賞賛を戴きました。
鞆らしい風景をお見せすることが出来てよかったと思います。
 
そして昨年は一級上の鞆の先輩である藤井さんのお誘いで、シーサイドホテルのかつてのスウィートルーム(現在は展望喫茶)から撮りました。
 
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ここは展望こそ絶景ですが、写真を撮影するにはガラスの反射があって撮影には向かない場所でした。
 
そこで今年は!!
 
中学時代からカメラをやっていて、2009年に開催した鞆の浦写真展「天 地 神」にも参加した鞆の同級生の清詞くんとある場所へ行くことにしました。
 
私の写真は別として、清詞くんの腕は超ベテランだけあってやはりすごいです。
期待しといてください♪
 
で、そのある場所とは、、、、
 
今までそこから撮影した写真を見たことがない場所です。
 
その場所とは、、、
 
 
今はヒミツです(笑)
 

明日は弁財天例祭

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明日は鞆の浦弁天島花火大会ですが、元々この時期に花火を打ち上げるのは弁財天の祭事があるからです。
この弁財天の祭事に花火を打ち上げていた歴史は古く、鞆の歴史研究に尽力された故池田一彦先生によると、江戸期にも花火を打ち上げていたそうです。
昔は対岸の関の浜より打ち上げていたようですが、昭和40年代より現在の花火大会へと変更されました。
 
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午前中、300年以上弁財天の世話をしている対岸の関町の世話人が島に渡り、寺院より住職を招きお経を唱えます。
 
弁財天は元々インドの水神でもあるサラスヴァティがルーツである為、仏教形式での祭事が行われます。
 
祭事が終わると一年にたった一度、弁天島の祠堂に安置されている弁財天が対岸に渡御されます。
 
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ちょうど鞆の消防署の斜め前あたりに安置されますので、近くで花火を観覧される方はぜひ弁財天にもお参り下さい。
 
 

天空の花火大会 後山編 その1

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一昨年に引き続き、高い角度からの花火大会の撮影です。
今回は仙酔島ではなく、対岸の後山からです。
 
場所は、、、、
 
第二展望台、、、附近です(^0^;
 
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眺めはバツグンなんですが、、、
 
意外とサプライズを感じませんでした(泣)
 
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午後7時半、いよいよ天空の花火大会の開幕です!
 
でも風がないから煙が、、、、(泣)
 
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遠距離から狙う時の泣き所です、、、風ちゃん、、、吹いてね、、(汗)
 
続きは後日、、、(笑)
 
 

天空の花火大会 後山編 その2

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昨日に続いての花火の続編です。
天空の花火大会、今年は後山の第二展望台付近からの撮影です。
 
今回は煙が凄まじかったですね、、、ある意味で場所をミスチョイスしたかも、、、
 
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まるで煙の中の花火大会って雰囲気に、、、(泣)
 
ひたすら風が出てくれることを待つしかありません、、、
 
冴えない写真を連発しながら後半へといってしまいます、、、
 
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後半に入り、多少は風が出てきました!
 
後はタイミングを運に任せて?、、、というか、デジタルカメラはノイズリダクションを働かせると、一度撮ると次のシャッターまでしばらく待たなければなりません。
そこがデジカメの泣き所ですね。
 
あとは光量のタイミングです。
デカイ花火を予測して絞りを目いっぱい絞って失敗するとこんな感じになります。
 
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逆にこっちは完全な露出オーバー
 
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手前の背景がちょうどいいくらいですが、花火は完全に白飛びしてしまいました。
花火って本当に難しいですね。
 
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これが比較的見れる写真でしょうか、、、
 
って感じで今年はある意味で惨敗の年でした(泣)
 
もう来年の構図は決めています。
来年、行けたら構図は今年とはガラリと変わります!
 
今から期待しといてくださいね(笑)
 
今年の花火大会でした~。
 
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